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「蔵谷昌幸」という男の話。

「蔵谷昌幸」は1976年8月5日に、父・順一、母・登美子、の間に生まれた。
男三兄弟の2番目、弟は晴彦、兄は健一郎・・・そう、このオレだ(笑)。

子供の頃から何に対しても、ライバル心を剥き出しでオレに向かってきた昌幸。そんな彼を2つ年上のオレは、大人気なく腕力(当然、兄の方が喧嘩が強い)で捩じ伏せてきた。

そんな事もあってか、そのライバル心は大人になっても変わらず、金沢市片町(繁華街)で商売をしていたオレの後を追うかのように夜の街で働き始めた彼は、「どんなに苦労をしても、いつかお兄ちゃんを越えてみせる‼︎」と友人に話していたようだ。

今考えると、そんな彼がいたからオレも走り続けて来れたのだと思う。

互いに必死になって働いた20代では良きライバル。そして、30代では力を合わせて仕事をする良きパートナー。今後も2人で協力して・・・そんな時に彼の身体にガンが見つかった。

仕事の都合で、中国で生活していたオレに掛かってきた一本の電話、
「お兄ちゃん・・・オレ・・・やっちまった・・・ガンで・・・残り数ヶ月しか生きれんらしいゎ・・・」、言葉を失った。
彼との電話を切った直後に母へ電話した。
「母ちゃんどういう事?大丈夫だよね?」、
母は泣きながら言った。
「けんちゃん・・・まぁちゃん(昌幸)もう駄目なんやって」・・・「なんでや?本当か?」・・・「本当なんや、医者が言っとった」・・・「なんでや⁉︎」・・・「けんちゃん・・・早く日本に、早く家に、帰ってきて・・・」。

急遽、帰国したオレを待っていたのは、落ち込むどころか笑顔を振りまく彼の姿。
その笑顔は、一昨年の10月にガンが見つかり、翌年の春の大手術、そして、すっかり痩せてしまった今年に入ってからもずっと続いた。
身体は小さくなってしまったが、その笑顔を見ていると、このままガンが治ってしまうのではないか・・・そんな風に思えるほどだった。

しかし、病魔は確実にその身体を蝕んでいた。

先月、再び入院となった彼は、病院のベッドでこう言った。
「最初は数ヶ月と言われた命が、1年半ももったんや、もう思い残す事は何もないゎお兄ちゃん‼︎」、「三兄弟で良かったゎ‼︎お兄ちゃんがいて良かったゎ‼︎」・・・その顔は笑顔だった。

2009年3月28日、
午前6時35分、

容体が急変した彼は、父と母、そして、病気が見つかってからも、ずっと一緒に闘い寄り添ってくれた彼女に見守られて旅立って行った。
ガンという病気と向き合い、強く、強く、強く闘った彼を、我が弟ながら尊敬し誇りに思う。

皆様どうか「蔵谷昌幸」という男を忘れないでやってください‼︎

「昌幸・・・ありがとう」

お兄ちゃんより

P.S.彼は30歳を過ぎてもオレの事を「お兄ちゃん」と、子供の頃と何も変わらずに呼んでいたなぁ〜(笑)。写真はガンが見つかる直前に、彼が中国で生活するオレを訪ねてきた際に撮影(松葉杖は捻挫で)。最後まで読んでくれて、本当にありがとう‼︎

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